過去の日々所感 No.036040

No.036 2005.08.25  <秋の紅茶>

 残暑の蒸し暑さを、蝉の声とともに体感し続けた八月でしたが、今日は、台風が接近している影響で空は雨模様。気温も下がり、明け方には少し肌寒ささえ感じるほどでした。

 そんな今朝のこと。雨音を聞きながら、朝食のパンに合わせて紅茶をすすると、これが素晴しく美味なのです。昨日の朝もその前の朝も飲んでいた、同じ紅茶なのですが。

 これは私にとっては毎年繰り返される恒例のようなもの。コーヒーは365日いつも最高に美味しいと思いながら飲んでいるのですが、なぜか紅茶は明らかに違うのです。いつもの紅茶が、夏の盛りを過ぎたある日、プレミアムな茶葉に格上げされたかのように美味しく感じられる時が必ずやってきます。そしてそれが、秋の訪れをいち早く感じさせてくれる嬉しい瞬間なのです。「はぁ〜、やっぱり紅茶は秋が一番美味しい」とお決まりのフレーズをつぶやき、幸福感の刹那に浸ります。

 子供の頃といえば、とうもろこしやスイカ、かき氷の旬がどんどん過ぎていく名残り惜しさ、あっという間に夏休みが終わってしまう焦り・・・。そんな夏への執着ばかりが思い出されるばかり。それが今は、これから続々と登場する収穫の秋がもたらす豊かさへと、すっかり心が向いています。そんな私にとって、秋の序章のシグナルが、しみじみとした紅茶の美味しさなのです。

 ところで、デイビット・スーシェ演じる「名探偵ポアロ」が好きで小道具一つにもワクワクしながら見てしまうのですが、ポアロにもやはり季節感があります。夏のバカンスの定番は、白い麻の仕立ての良いスーツ。でも私にはやはり、秋冬の風景の中で活躍するポアロの方が、ピタリとハマって見えます。

 上等そうなウールのコートやスーツ、シルクサテンのガウンを身にまとい、ふわっと湯気のたつアンティークのティーカップを少し気どって手にしている姿。そんな風情が、彼の独特の風味をかもし出しているように思います。そうそう、ポアロの隠れた得意技に、ティーカップの底に残った茶葉をみて吉凶を占う、紅茶占いというのがありましたっけ。

 

No.037 2007.03.30  <カイドウ>

 残桜の開花宣言に誘われて散歩を楽しんでいた数日前。ポツポツと開き始めた桜の隣で、いかにも嬉しそうに風に揺れている小さな赤い蕾に目が止まりました。

 こちらもソメイヨシノに続いて間もなく開花を迎えるのでしょう。ゆらゆらと心地よさげに振れているその蕾は、ぷっくりとしたふくらみを見せていて、もう弾ける寸前の様子です。

 何の花かな?と思い、近くにおられた前掛け姿の年配の女性に、「この花は何かわかりますか?」と声を掛けてみました。
「ああこれね。可愛い花が咲くのよね〜」
と答えながら、名前を思い出そうとしてくれている様子。

 そこへ買い物袋をさげた、やはり年配の女性が歩みよってきて、
「その花大好き。毎年たのしみにしてるの。カイドウっていうんだけど〜、ホニャララ〜」と教えてくれたのです。

 この最後の「ホニャララ〜」の部分。ほんとうは、カイドウの漢字を空に指で描きながら説明してくれていたのですが、残念ながら、愚かな私には正しく伝わらなかったのです。

 後で調べてみたら、正解は「海棠」。やはりちょっと難しい文字でしたが、おかげで脳細胞にしっかりインプットすることができたような気がします。

 しかも、あらためて目を向けて歩いてみれば、ここにもあそこにも、いたるところにカイドウが植えられているじゃないですか。多くの人に長く親しまれている樹木だったのですね。桜だけじゃない、春の楽しみがまた一つ増えました。

 

No.038 2009.06.10  <名づけ親>

 ペンネームの相談を受けたのは少し前のこと。それからほどなく「出来上がりました」の一文とともに、刷りたてホヤホヤの新刊本が送られてきました。私にとっても仕事冥利のうれしい瞬間です。

 分野はフィクション。装丁は、本の中で繰り広げられるダークな世界を暗示しているのか、混迷と懊悩の色を不穏な霧の如くにうっすら塗り込めたという印象。タイトルに寄り添うペンネームは、その繊細な字体が作家としての彼に似合っているなあと思いつつ、中を開いてみました。

 目に飛び込んできたのは、溢れるようにびっしり並んだ小さな活字たち。たいへんな力作であることは一目瞭然。これを読むには少しばかりの余裕と集中力と体力がいる、と瞬時に判断した私。「ムム・・・あとでゆっくり」とかなんとか意味のない呪文をつぶやきながら、思わず本を閉じてしまいました。

 その後ようやく、まとまった休日を使い、たまっていた数冊と格闘することに。もちろん、彼の一冊も気合いを入れてゆっくり読み進めました。

 読了後の私の頭は、軽い疲労感におそわれたほど重量級のストーリー。その文才におどろかされながら楽しい読書タイムを堪能。「いい作品を創ったね」と胸の内のつぶやきは、名づけ親から闘う彼への心からのエールでした。

 

No.039 2010.04.30  <空の息づかい>

 朝刊の訃報欄を眺めていたら、80代の御仁がずらっと並んでいて、ふと同じだなと気づきました。

 無事に新年を迎えれば15年目となる秋田犬を飼っていると、お客様から聞いたのが昨年の暮れ。大型の秋田犬でこれほどの長寿は聞いたことがないと、獣医からも感心されるアッパレな老婆犬。そして淡々とお正月を越えたものの、この3月にスーッとお別れの時が来たとの一報が届きました。

 前日まで食欲もあり、体重は30キロをキープ。人間でいえば、なんと107歳の天寿をまっとうなのだそうです。天空の呼吸のリズムに合わせるようにして逝ったのかなあ、と動きの速い雲を見上げつつ思ったりしました。

 この春は、桜も寒さにさらされながら健気に咲いていましたが、人間も同じ。どんなに頑健な体だって気をつけねばならないほど、お天気は激しい変調が続きました。ましてや病気と闘っていたり、どこかに不安を抱えている方にとっては、調子をととのえることの難しさを痛感せずにはいられなかったことでしょう。

 こんな時だからこそ、でしょうか。太陽のまぶしさがいっそう嬉しく、そよ風にちらちら揺れる草花に気持ちが和らいでゆくのを、いっそう強く実感します。

 自然の厳しさもまた、自然のやさしさで緩和してくれているのです。

 

No.040 2011.03.18  <祈り>

 311日に発生した大地震。以来、情報はもっぱらラジオに耳を傾けて得ています。

 テレビのニュースで、暴走する大津波がすべてをなぎ倒し、飲み尽くしていく凄まじい惨状が、これでもかこれでもかと繰り返し映し出されていることに、私の内なる感覚からの耐えがたい心地悪さに電源を切りました。

 混乱の中で情報の洪水を浴び続ける時には、感度を鈍化させるか、より研ぎ澄ませて取捨選択をしていくか、大いなる工夫と配慮が必要のようです。

 16日の天皇陛下のお言葉も、ラジオを通して拝聴しました。

 これをきっかけに、荒れ狂う天空に希望の光がさしてくれることを、祈らすにはいられません。何かを恨み、何かを罵倒し、何かを責め立て、何かに絶望することが、笑顔を取り戻す近道にはなりえません。

 今は真っ暗やみであっても、今日よりも明日、明日よりもさらに先へ、きっと明るい兆しが宿っていることを、祈りたいと思います。  

 激しい動揺に打ちひしがれていても、笑顔を取り戻す時は必ずくるのだと、祈りたいと思います。

 風もおだやかに吹き抜ける今日の昼、外へ出た時のこと。ご婦人に連れられて散歩中のお洒落なワンちゃんと遭遇。

 道のど真ん中でやおら動きを止め、しっぽを上げたなと思ったら、スルスルと見事な排便。眼鏡越しの私の目にもゆらゆらと立ち上る湯気がはっきり見えて、「命って、こういうことかも」とつぶやきながら、思わずニンマリ笑っていました。

 

No.036No.040・完

 

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