昨年の暮れに発表された流行語大賞の一つに「ワールドカップ(中津江村)」が選ばれました。W杯参加国カメルーンの代表選手たちのおおらか過ぎる大遅刻に端を発しながら、最後は高揚感と充実感とに包まれたフィナーレへと落ち着いたあの騒動。真摯で素朴な中津江村の村民たちが一喜一憂する様子が、メディアで盛んに伝えられました。確かに昨年の出来事の中でも、思わず笑みがこぼれる記憶の一つとなっています。
一躍有名となったあの坂本休村長は、その名前とは裏腹に、W杯騒動以降、睡眠時間も削られてしまうほどの超多忙な生活を送られたとの弁が、流行語大賞受賞のニュースの中で伝えられていました。
Jリーグにとんと疎い私でさえ、W杯の期間中は時間の許す限りテレビ観戦をし、ことに日本代表チームの時は、自分でも驚くほどの興奮を味わい、世界中がサッカーに熱狂する理由が少し理解できたような気がしました。
気のおけない友人たちと共に、観戦&餃子パーティーも開いたのですが、選んだのは、因縁の対決と称されたイングランド対アルゼンチン戦。日本代表のゲームはあえて避けました。
なぜなら、いざ日本となるととても冷静ではいられず、あまりにハラハラドキドキで手に汗握る緊張状態がゲーム終了まで続いてしまうことに。そうなれば餃子をパクつきながらビールをゴクッと飲んでゲラゲラと談笑、などという余裕など全くなくなるであろうことを、初戦を見た時に学んだからでした。
ヒデの沈着冷静且つ威風堂々たる存在感に感嘆をもらし、硬いはずのボールが鞠と戯れているかのように見えてしまう小野クンのしなやかな球さばきに嬉々とし、日本の若者たちの進化と世界トップレベルの素晴らしいプレーを堪能できた幸せな時間でした。
日本代表を指揮したトルシエ監督の采配ぶりの妙は、サッカーに不慣れな素人の私には皆目わかりませんでした。ただ、代表選定で中村俊輔クンを外したことは正直残念でした。彼の左足から繰り出されるミラクルシュートをW杯の舞台で見せてほしかったものです。
ちょうどその頃、スポーツ記者がトルシエ監督の性格について述べた文章を読み、なるほどと合点したのを記憶しています。
彼は、周囲が「なぜ鈴木ばかりを使うのか」と言えば言うほど頑なに鈴木を使い、周囲が「なぜ中村を使わないのか」と言えば言うほど中村を外すのだ、だから周りの者はトルシエに全く逆のことを言ってみたらどうか、たしかそんな少しばかり皮肉を込めた内容だったと思います。
そして近頃、ニュースで伝えられる小泉総理を見ると、なぜだか昨年のトルシエ監督の姿が浮かんできます。このお二人、どこか行動と思考を左右するシステム系統に共通の回路を有しているのでは、との感じがよぎるのです。
おそらく小泉総理の周辺の中に、この時期の靖国神社参拝を押しとどめようと何度も進言した方がおられたのではあるまいか、正月14日の突然の参拝というニュースで是非や真意が取りざたされる中、勝手にトルシエ的思考を当てはめて想像してみました。
ならば次は、「年に一度と言わず、毎月朔日と中日に参拝すべし」と進言されてみたら・・・どんなものでしょう。
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