過去の日々所感 No.006〜010
No.006 2002.8.23 <夢のような朝食>
 突然の爽やかな空気に包まれ、秋の気配を肌で感じています。先日は、散歩の途中で鈴虫の音色を耳にし、思わず立ち止まって高音の合唱を楽しみました。

 どちらかといえば私の胃袋は健啖家とは程遠く、食事はゆっくり、どんなに目の前にごちそうが並べられても、自分の適量に達するともうそれ以上は箸が止まってしまう、というタイプに属します。ましてや真夏の猛暑に襲われると、以前の私は、特に起きぬけなど、もういけません。一切れのパンがどうしても喉を通ってくれず、朝からそうめんを茹でて何とかツルッと流す、ということも珍しくありませんでした。

 それが今では嘘のように、この厳しかった炎暑の中も、朝食をしっかり必要充分の量を美味しく食べて一日がスタートする、という形に変化しました。

 きっかけは8年前のカナダ旅行です。前回、2年前に出かけたバンクーバーに触れましたが、この8年前は、私の妹が呼びかけ、旅行会社の企画したツアーに親族で参加したものです。

 参加者の顔ぶれは様々ですが、リタイアをして時間に余裕のあるらしい熟年者、年配者も目立ち、宿泊先はいずれも格式の高い豪奢なホテルという、少しばかり贅沢なツアーでした。自由気ままな行動は制限されますが、初めて会ういろいろな人たちと10日間ばかりを共にするこんな旅行も、人間観察が大いに好きな私にとっては面白くて楽しめます。

 エメラルド色の美しい湖レイクルイーズから始まりナイアガラの滝まで、カナディアンロッキーの峰々や針葉樹の森、雄大なスケールの大氷河という、カナダの圧倒的な大自然を存分に満喫させてくれる旅程が組まれていました。そんな広大すぎる大自然相手のスケジュールは、一日をたっぷり使い、移動も長くて寒暖の差も激しく、必然的に足腰をよく使い、たくさんのエネルギーも消費します。

 特に高齢の方々は、一日の観光を終えてホテルに戻る頃には、もうすっかり元気を消耗させ、その表情に疲労の色がくっきりと張り付いていて、明日は大丈夫だろうかと、こちらが心配になるほどの風情を体全体に漂わせていたのです。私自身も自分の部屋へ入ってシャワーを浴びると、あとはすっかり記憶がなく、死んだように深い眠りに落ちていました。

 さて翌朝。大自然に囲まれたホテルですから、サラッとした空気の清浄さは言うまでもありません。スッキリとした目覚めで一日が始まります。窓からの木々や湖の朝日輝く眺めは、そのまま絵葉書になりそうな美しさです。ホテルの周囲を気持ちよく散策していると、近眼の私の視力がよくなったのかと思うくらい、緑がはっきりと目に映りました。

 そして朝食へ。幾種類かのメニューが用意されていて好みのものをチョイスできました。私の定番は、ミルクとフレッシュな果物数種に始まり、多彩な野菜がふんだんに使われたたっぷりのサラダ、卵、焼きたてのパン、締めくくりにコーヒーというものでした。消耗した体が欲しているのか、気候が胃袋をタフにしてくれているのか、果物も野菜もパンもどれもとても美味しく、朝食をこれほど充実した質量で満足できたのは初めてのことでした。

 周りのテーブルを眺めてみました。昨晩、あんなに疲労困憊の体を見せていたご高齢の面々が、別人のようにシャッキッとして、輝いた表情で歓談しながら、デザートまで平らげる健啖家ぶりを発揮していました。それは見事な復活ぶりです。

 そんなふうに、しっかりエネルギーをチャージしてまた大自然の中へ、ということが繰り返された10日間でした。

 帰国後しばらくの間、大自然の素晴らしさと共に、必ずこの夢のような朝食の経験を皆にふれまわり、それ以来、私の朝食も胃袋もそのスタイルを踏襲して定着したのでした。

No.007 2002.9.9 <I am Sam その1>
 先月、新宿で「アイ・アム・サム」という映画を観てきました。ずっと気になっていながら、時間に追われるまま後回しにしていたのですが、根強い人気でロングランとなっていたようで、打ち切り直前に間に合いました。

 冒頭、主人公のサム(ショーン・ペン)が、出産に立会うため職場のコーヒーショップ(スターバックス!)から病院へ大慌てで駆けつけ、生まれたばかりの我が子を不器用に、でもとても大事そうに抱きかかえながら、その娘に名前を付けるところから物語が始まります。

 躊躇することなく、サムの口から自然にこぼれてきたのは「ルーシー」という響きでした。ビートルズをこよなく愛するサムが、ジョン・レノンの作った名曲「Lucy In The Sky With Diamonds」からインスピレートされた名前です。愛に満ち溢れたとてもいいシーンでした。

 ふとしたはずみからの妊娠で、出産をして病院から出た途端、相手の女性は行方をくらましてしまい、生まれたばかりのルーシーを抱えて一人戸惑うサム。けれど、周囲にも助けられ、二人は寄り添いながら、ささやかながらもいい笑顔に包まれた生活を過ごしていきます。

 ちょっと違っていたのは、父親となったサムが、知的年齢が7歳という障害を負っていることでした。でも、その障害ゆえ、ズルさもしたたかさも持ち合わせない、純粋で無垢なハートのままの大人という人間像を、スクリーンを通じて十二分に伝え、観ているこちら側へ微笑と切なさを誘います。

 それは、指先から足の裏に至るまで神経を行き届かせなければ出来ないのではないかと思うほど、ショーン・ペン演ずる知的障害を持つ父親の放つ懸命さが胸に迫り、惜しみなく注がれる一途な愛情を全身で表現している見事さに、気持ちよく惹きこまれていったからでしょう。どこまでも優しい空気を身にまとってサムは存在しているのです。そして後から、これが正真正銘の演技なのかと驚きと感慨が押し寄せてくる、そんな素晴らしさでした。

 気のいい仲間たちや心通う隣人、職場の理解に支えられながらの2人の幸福な生活も、ルーシーが7歳になりサムと肩を並べ、日に日に追い越して成長していく時を迎え、否応無しに大きな試練が訪れます。ソーシャル・ワーカーからの「普通の常識」をタテにした干渉がずかずかと2人の生活に入り込み、お互いに一緒に暮らすことを強く望んでいながら、養育不適格として引き離されてしまうのです。

 裁判に訴えて、ルーシーとの元通りの生活を取り戻したいと考えたサムですが、それは自分自身にとってもルーシーにとっても、そして協力してくれる周囲にとっても、どうしても無理を強いてしまうことでした。かかわりを持つ者は皆、裁判での有利を獲得するための手法に絡めとられ、それぞれに手痛く傷を負うことになってしまうのです。

 知的障害を負っていること、いや、それ以上にピュアな心を持つサムにとって、よほど辛い道を進まねばなりません。

 でも、その辛い道にこそ、いくつもの宝物が隠されていることに後から気づかされます。苦しみを味わいながらも、真っ直ぐ一生懸命に向かっていったからこそ、その先に成長と発見があり、サムとルーシーの新しい道がこれまでよりもより大きく、より広がりをみせながら続いていくことを、示唆してくれています。

 サムに見守られながらずっと寄り添ってきたルーシーの、聡明さと愛らしさにくるまれた、父を思いやりそして慕う深い心情も一層胸に染みます。

 いろいろなことを考えさせてくれた映画でした。次回、もう少し続けます。

No.008 2002.9.17 <I am Sam その2>
 前回に続き、映画「アイ・アム・サム」について書きます。

 もう一人の大事な登場人物。ほんの成り行きで、裁判に訴えたいサムの依頼を無償で引き受ける羽目になったのが、ミシェル・ファイファー演じる女性弁護士リタです。

 職場は、もっぱら富裕層を顧客にしているらしき大きな弁護士事務所で、仕立てのいいスーツを着たリタは、訪ねて来たサムに対し、報酬を払える目途もないと判断、適当にあしらって体裁よく追い返そうとします。

 いつも仕事に追い立てられ、口を開けば「忙しい!忙しい!」が決り文句、電話と時計に振り回され、神経をピリピリさせては部下や物にも当り散らし、愛車のスポーツカーの運転ぶりは急発進の急ブレーキという乱暴さ。これは私が密かに斜同格症候群と呼んでいる重度の症状ですが、まさに全身からサボテンのようにツンツンと棘を突き出し、近づいてきた相手に痛みばかりを見舞わせてしまう存在として、リタは描かれています。

 夫と7才になる一人息子の3人家族ですが、豪勢な邸宅に遅く帰宅すると、そこに夫の姿はありません。息子は母親リタに背を向けたままで一人遊びに興じ、言葉をかけてもしらんぷり、返事をしようともしません。

 都会的でセンスのよいインテリアが配された生活感のないリビングは、その広すぎる空間がかえって寒々しく空虚に映り、リタと息子の心をそのままに反映しているかのようです。

 一方、サムはと言えば、お客に笑顔をふりまきながらのコーヒーショップの仕事は時給8ドル、小さなアパートで眠りにつく前のひととき、ベッドで毎晩繰り返されてきたのは、傍らに寄り添うルーシーに絵本を読み聞かせてあげること。そこに漂う空気がいかに暖かく平穏であるかは、何よりも心地よさそうな二人の表情が物語っています。

 綺麗で頭がよくて高収入。それは、不器用で思うようにならず、ひどく落ち込んでいるサムから見れば、どんなにがんばっても自分にとっては手に入れられないものを持っている、完璧な存在かのようです。しかし、夫の心は他に向いてしまっている、たった7才の息子にさえ嫌われて背を向けられている、仕事も忙しいばかりで本当は自信がない、自分は駄目な女、そんなおそらく誰にも見せたことなどない心の内を、リタはサムに吐露するのです。

 この2人は、置かれている状況がまるっきり対照的な存在として描かれます。そしてサムは、リタの損得抜きの力強い協力を得ていきます。それを引き出したのはサム自身の存在そのものでした。リタは、サムと関わりあうことによって、実は自分こそが彼の存在に癒されている、自分にとって本当に大切なことを気づかせてくれている、と感じはじめます。それと共に少しずつ彼女の棘も消えてゆくのです。

 値打ちのある人生とは何? 生きている喜びとは何? 自分にとって一番大切なものってなんだろう、そんなことをグルグルと考えさせられながら、ルーシーとサム父娘の優しい表情が余韻のようにいつまでも残り、私の中から離れませんでした。

 幸福を心から味わうために、私たちは決して完璧である必要などないのです。

No.009 2002.10.10 <秋映えの花火大会>
 花火といえば真夏の風物詩ですが、秋の気配が漂うこの10月に毎年行なわれている恒例の花火大会があります。

 初めて見た時は、確かまだ私の子供たちが幼稚園に通っていた頃と記憶しているので、ざっと二十数年通いつづけていることになります。花火大会があることすら気づかぬほどに忙殺されて10月を過ごしてしまった年もあったので、ここ最近は毎年というわけにはいかなくなりましたが、今年は、やはり毎年通っている友人に「一緒に連れて行っておくれ」とあらかじめ声を掛けておいたおかげで、先週の土曜日にエイヤッと出かけてきました。

 茨城県土浦市を流れる桜川の土手沿いを会場にして行なわれるこの花火大会は、翌年の全国の花火大会へ向けた買い付けのためのデモンストレーションをかねているそうで、花火師たちがそれぞれに新しい工夫や創意をこらしながら独自の技やセンスを磨き合い、業者そして観客にアピールして勝負する場となっているものなのです。

 それだけに、花火師たちの精魂が込められた作品の一つ一つから、これでもかこれでもかと、たたみかけるような勢いのあるド迫力と豪華さ、色彩の豊かさや繊細さ、工夫を凝らした構成やユニークな発想が、見事な花火を通してこちら側にも伝わってくるという、独特の楽しさと熱気に包まれた大会でもあります。

 例年10月ともなると、日が暮れた桜川の土手沿いはちょっと風に吹かれたなら冷気が襲い、ブルブル震えながら見ることも多いのですが、今年は珍しいほどの暖気に包まれ天候にも恵まれたためか、人出も凄まじく、ずいぶん混雑した中での観覧でした。大勢の人がワサワサとひしめき合うようにしている中、あぐらをかいて座り込み、おにぎりをほおばり、屋台の焼きソバやじゃがバタと共にお酒も飲みながら夜空に次々と描かれる競演をひたすら堪能。どういうわけか、こういうシチュエーションだと多少の埃や汚れなどぜんぜん気にならず、何を食べても何を飲んでも殊のほか美味く、そして単純に楽しいのは何故なのでしょう。不思議ですね。

 ヒュルヒュルヒュルルゥという打ち上げ始めの独特の音色をともなって、すばやく細い螺旋を描きながら光の切っ先がまっすぐ上へと登り上がる序奏を合図に、パッと闇の中に大輪のあでやかな光の華がまぶしく開き、そして一瞬の間をおいてずしっと体当たりしてくる空気感の衝撃、ドンッと耳を突く大音。途端にウォオォォ―!という感嘆を漏らすような大響声、最後は大拍手が沸き起こる一連の流れ。そこにいる人々の意識が花火に向かって束ねられ、揺さぶられながら一体となる異体験を味わえます。

 口を開けながら天を仰ぎながら見とれている私たちは、その中に身をゆだね、一種独特の空間と感激を大勢の人たちと共有していることによって、楽しさもどんどん倍増されていくのです。そして、この快感の根底には“平和であること”という大切な条件が横たわっています。大戦で本土決戦を強いられた沖縄では花火大会は開催されません。東京大空襲を体験した方が、「どんなに素晴らしいと言われたって墨田川の花火大会を楽しむことなんて絶対に出来ない」と語ったのを聞いたこともあります。アメリカのブッシュ大統領が、イラク攻撃を発動するぞと盛んに威嚇している現在。

 いつまでも、だれであっても、みんなで夜空を見上げて花火を楽しむことができる世の中を大切にしていきたいと心から思います。来年も再来年も、ずっと変わることなく楽しむことができるように。

No.010 2002.11.19  <拉致とラーメン>
 せっかちな冬の訪れが、ゆっくりと楽しみたい季節の移ろいを慌てさせたかのように、秋特有の清涼感はアッという間に過ぎ去ってしまったようです。我が家のベランダから眺められる桜や銀杏、樫といった僅かばかりの木立の姿も、ここ1週間ばかりの間で早回しのようにみるみる葉の色づきが動き、すっかり深い黄、濃い紅へと変化させてハラハラと舞っています。

 散歩の途中で毎日のように目にしていたはずの百日紅(サルスベリ)の桃色の花も、気づけばすべて落ち払って、木枯らしの中で細枝とつるつるの幹だけといういかにも寒そうなあらわな姿に。それを見る私は、お決まりのように「これじゃあ、お猿さんもツルッとすべっちゃうね」と頭の中で一人つぶやきます。

 ここしばらくの間、誰もが目をそらさずにはいられずに見守りつづけているのは、9月に始まった日朝国交正常化交渉、そして拉致問題でしょう。暗闇の中を必死でもがき苦しみ、先へ進むべき道を探し続けてきたこれまでの長い時間と、その闇を心に抱えながら先へ進まなければならないこれからの道。この凄まじい現実を、あまりに遅すぎるけれど、わたし自身もようやく日本の問題として、この日本で同じ時代を共に暮らしてきた社会の仲間の一人として認識できるようになったところです。

 そんな無力で無知な私に、今できること。それは、拉致被害者の方々、そして家族の方々の存在をしっかりまっすぐに見つめ、自分の想像力を働かせながらこの方々の心の深い闇を慮り、思いを寄せることしかありません。

 秋はたちまちに過ぎてしまったけれど、帰国した五人にとっては久しぶりとなる日本での師走の風景、年越しのにぎやかさ、そして気持ち新たに迎えるお正月はもうすぐそこです。すす払い、大掃除、年越し蕎麦、除夜の鐘、初詣、おせち料理、お雑煮・・・。それらをゆっくりと味わってもらえることができたなら、と心から思います。

 そうして、そう思うことによって、毎年当たり前のように繰り返されてきたことを、わたし自身が、昨年までとは違った思いで気分新たに受け止めるような気がしています。今年の冬は長くなりそうで少し気が早いですが、これまで以上に心を鎮め、行く歳来る歳を静かに過ごしてみようかな、との殊勝な心持ちが少しばかり沸いてきているのです。

 ところで、「拉致」という言葉。それまで決して私たちの日常の中で馴染みのある言葉ではなかったはずです。この言葉が活字となって当たり前のように目に飛び込んでくる度、何て恐ろしい言葉なのだろう、との感じが沸いてきて仕方ありませんでした。

 「拉」とは手偏(てへん)に立つ、という文字が組み合わさっているので、その見たままの解釈から“立っている人を有無を言わせる間も与えず、何本もの手が伸びてきて力ずくでさらって行く”、そんな一つの映像が頭の中で反射的に浮かんできてしまうのでした。そして実際、帰国した五人の方々が後に語ったとして伝えられた事件発生の生々しい状況は、その恐ろしい想像に違わぬ現実のものでもありました。

 そんな発想が頭の隅っこに巣くっていた私に、食卓テーブルに置かれたインスタントラーメンの袋の図柄の何かが、ふと引っかかりました。小腹が空いたときに好んでよく食べているいつもの見慣れているはずのものです。

「ウムッ?!」

私の目に飛び込んできたのは、なんと「本格派拉麺(らーめん)」という文字。これまで何度も目にしていたはずなのに。拉致と拉麺、同じ文字が使われていたなんてことに改めて気づき、自分の感覚のあまりの違いぶりに、我ながらびっくりしてしまったのでした。

 同じ文字であっても、そこに込められた意味によって、発するメッセージや受け取る思い、感覚、想像、反応がぜんぜん違うというのは当たり前のこと。その端的な形を自分の中でありありと実感させられました。今こうして「拉致被害者」「拉致被害者家族」という言葉をここにスラッと書くことにさえ、どこかに棘が刺さっているような異物感のようなものを感じています。

そしてラーメンはといえば、麺好きの私の喉をスルスルっと満足げに通過していくのでした。

No.006〜010・完
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