過去の日々所感 No.001〜005
No.001 2002.7.7 <アナログ>
 わたしは車を持っていません。以前、まだ若く体力も気力もありあまっていた時代は、東京と福岡間の往復もいとわず、むしろ運転を楽しんでいたのですが、50代に入って愛車を手放し、今は毎日の散歩が習慣となっています。幸い、バスや地下鉄、JR、タクシーといった交通手段に恵まれた環境のため、不便は全く感じません。

 新聞とラヂオが好きです。世の中の大まかな流れはもっぱらこの二つが情報源となっているので、新聞休刊日は手持ちぶたさで朝のリズムが違ってしまいます。夜は枕もとのラヂオの音声が子守唄がわり(とはいえ5分と絶たぬうちに眠りに落ちてしまいますが)。真夜中に中途半端に目覚めてしまったときもラヂオを鳴らして気を紛らわせます。ビデオ操作は電源を入れて再生、ここまでの手順は心得ましたが、タイマー予約などはやったことがありません。

 ましてやパソコンやケータイとなったらもうお手上げです。右も左も分からぬ迷子状態です。まさかこんな風に自分のホームページを公開する時代が来るなど、少し前まで想像だにしませんでした。文明機器の発達、普及の早さには、恨めしささえおぼえます。このホームページを制作するにあたって、関わってくれたすべての協力者の皆さんには心よりお礼を申し上げ、頭を垂れるばかりです。

 自分自身に対するデジタルへの適応力のなさ、教養のなさには、もうただただ反省することしきりではあります。それでも、どっこいアナログにはアナログなりの‘気のいいヤツ’的存在価値は健在であると固く信じ、私の内に染み付いています。その心地よさは信頼感と安心感が横たわっているからでしょうか。

 私の名前への関わりは、まさにアナログそのものです。禅でいう「小悟、大悟ならず」を繰り返してきました。その日々の繰り返しが積み重なって、5年、10年、15年・・・と経過していく中で、自分の内面に気づきから確信へと形成されてきた核のようなものがどっかりと存在していることに、たどってきた長い道のりを振り返ってみてようやく思い知ることがあるのです。

 これは何も私だけではなく、一つのことを毎日同じように繰り返してきたという経験のある方、そうやって仕事をしてきた方なら、きっと実感しているはずです。そしてその一つのことが、好きで好きでたまらない事であったなら、時流に外れていたって何だって自分にとってこんなしあわせなことはないでしょう。

No.002 2002.7.25 <屋久島の旅 その1>
 まずは、ちょっとした晴れ男自慢をお許しください。

 タイミングよくスケジュールの都合がついたのを幸いに、先日若い友人2人に連れられて屋久島を旅してきました。世界遺産に指定された貴重な自然体系や縄文杉の素晴らしさは、これまで伝え聞かされていたものの、急な誘いに何の知識も持たぬままのあわただしい出発。屋久(やく=薬に通じる)島という名前の由来の文字表現と山岳信仰との関わりに少しばかりの興味を抱いて飛行機に乗り込みました。

 折りしも大型台風6号が急接近。上陸の恐れありとの天気予報に送られながら、休暇の日程変更に余裕などない悲しさで、その渦中に飛び込んでいくような出発です。鹿児島で乗り換えて屋久島へ向かう機中、隣席の男性の真っ黒に焼けた大きな手が目に入りました。言葉をかけてみると、やはり地元の方。その男性いわく、
「せっかくいらしたのに、まるで台風観光をするための旅のようで。お気の毒に・・」
屋久島初心者の私のために、彼は心から同情してくれたのでした。

 覚悟を決めて飛行機から降り立つと、空は文字通り、風雲急を告げるかのような急速な動きを見せていました。ところが、それは台風の向きが突然変わりながら動き出した結果のよう。幸運なことに、私たちは暴風雨を見事にすり抜けていたのです。

 翌朝には南国特有のまばゆいばかりに輝く太陽の大歓迎。キャンセルが相次いだ静かな島内を、ゆったり悠々と周遊。旅は上々のスタートとなりました。新聞もテレビもラヂオからも全く遠ざかり、歩いて食べて眠るだけで精一杯。いや、むしろ時間が足りないくらいで、天候のマジックに恵まれながら大自然を満喫した毎日でした。

 そして最終日の早朝。初めての雨がふり出していました。それはドキッとするほど優しく美しい風景。私は歯磨きをするのも忘れて、心を奪われたようにしばらくの時間、ボーッとたたずんで飽きることなくその景色を眺めつづけていました。

 旅をして嬉しくなるのはまさにこんな一瞬。日常から開放され気のおけない友人と共有する時間、そしてその土地の風土や慣習、食材を味わう楽しみは勿論ですが、ぜんぜん予想もしない形でなんとも心地よい瞬間に出会える幸運が旅をしているとよくあります。

 屋久島の緑と雨の組み合わせがかもし出してくれるたおやかな時間が、それを眺める私の内面に染み入ってくるように、豊かな感情を呼び覚まし、心が柔らかく満たされるような感覚を味わうことができたのです。

No.003 2002.8.2 <屋久島の旅 その2>
 前回に続きます。

 地球温暖化、ヒートアイランド現象という言葉が踊り、今年も東京のムワッとする特異な暑さは殺人的とも表現したくなるほどに暴走しています。

 いつも散歩の途中で挨拶を交わす馴染みの大型犬は、ふさふさとした立派な毛並みがこの真夏には仇となり、できることなら脱がしてあげたくなるほどに、疲弊しきった顔でフーフーとして元気をなくしています。そのうつろな眼(とてもかわいいのだけれど)が、自分本位の人間社会に付き合わされる不条理さを訴えているような気にさせられ「頑張れよ」と声を掛けずにいられません。

 そうしてこのところ続くクラッとくる暑さに見舞われるたび、屋久島の豊かな緑と水が心底懐かしくて時間を巻き戻したくなります。同じ30度超の気温であっても、アスファルトやコンクリートに覆われたそれと森林や清流に囲まれたそれとは全く別物で、そのあまりの違いぶりは体感したばかりだけにかえって際立ち疲労を誘うのかもしれません。

 気がつけばいつのまにか“夕涼み”という言葉も薄れ、真っ黒になって遊んでいた子供時代には当たり前であったはずの、汗をかいてひんやり涼む夏の心地よさからどんどん離れてきてしまいました。

 海に迫るようにそびえ立つ山岳からなる屋久島は、古くから神の宿る聖なる山として信仰の対象となっていて、スギ原生林と多様な植生を持つことから名前の由来にも関係していると言われる薬の島としても知られてきたそうです。

 圧巻の巨樹群と山岳の気高さ、植物から得られる薬効を目の当たりにした古代の人々が、人知の及ばぬ大いなる存在に恐れ敬ってきた素直な感覚は、それに比してはるかに五感が鈍ってしまっている私たちにも、そのまますんなりと受け入れられるほどに迫力と懐の深さをたたえて存在していました。

 歩き疲れて腰をおろした大木の根元には、びっしりと絨毯のような濃緑の苔が敷きつめられていて、その場所は映画「もののけ姫」の舞台にもなったそうです。私はそぉーっとその苔の上に素足をのせて目を閉じてみました。ひんやりと柔らかな独特の感触が足の裏から伝わりながら疲れがスッと引いていき、それはまるで地力(ちりょく)というか土力(どりょく)のようなものを体の中に充電してもらっているような気分なのです。

 その爽快さ、心地よさを味わう快感は、ただそこに居るだけで何の理屈もいらない、体が感応するまま、人間本来の欲求であることが改めてよくわかりました。まさに心と身体によく効く薬の島たる所以なのでしょう。

No.004 2002.8.7 <イチローくん>
 メジャーリーグでトップレベルの活躍を続け、アメリカの目の肥えた野球ファンをも魅了しているイチローのプレイは、私も時間が許せばテレビ観戦を楽しんでいて、次にアメリカ旅行する機会があった時には是非ともボールパークでホットドッグをほおばりながら生の試合を観戦したいと切望している一人です。

 たしか昨年、ファンサービスの一つとして地元の子供たちとふれ合う様子をテレビが報じていて、一人の男の子がイチローに「どうしたら野球が上手くなれますか」と質問をしました。それに対するイチローの返事は「ボール、グローブ、バットを大切に扱って下さい。それはお父さんとかお母さんが君たちに買ってくれたものだから感謝をして・・・」そんなニュアンスのことを真摯に答えていました。

 これをアメリカの子供たちがどう受け止めたのかはわかりませんが、私は「ウーッ」と唸りました。今こんな答えを返せるプレーヤーが一体何人いるでしょうか。しかも、彼は子供相手だからではなく、心底からそう考えずっとそれを実践してきたからこそ、ものごとの本質を見極めて己の信条をはっきりとした口調で語っていることが、見ているこちらにも伝わってきます。ボールを遠くへ飛ばすには、上手くキャッチするには、そんなノウハウを聞きたがり語りたがるのが普通のことで、ゲームを見ればバットをたたき捨てたり、グローブを放り投げるシーンは必ずや目にすることになります。

 そんな中、言葉どおりイチローが自分のミスを道具に当たるような仕草は一度たりとも目にしたことはありません。彼の野球に向かう姿勢から、私の頭の中では、野球道を極めようと自分と対峙し修練を続ける武者のイメージを勝手に浮かべて、同じ日本人としてこの成熟した若者の存在を本当に誇りに思い、一人ほくそえんでいます。

 物には心があり命が宿る、道具を大切に扱う日常が心身の修養へとつながる、使命を全うしてくれた道具に感謝して供養する、そんな内的捉え方や教えは、自然に対して謙虚な姿勢で向き合い、上手に共存しながら生活を営む風土に培われてきた日本人特有の心の在り方や精神構造に根っこのところでしっかりつながります。それがいつの頃からかないがしろにされてしまっていることを若者から諭されたのです。

 旅の写真をアルバムに整理しながら屋久島の威風堂々たる存在を反芻し、自省を込めて。

No.005 2002.8.19 <シアトル>
 前回のイチローくんを引きずって。

 2年前に気の合う仲間4人でカナダを旅してきた時のことです。私の旅は、スケジュールの隙間に休暇を何とかはめ込んで、という事情が多いため、この時も出発2週間くらい前になって、海外生活を経験して旅なれている仲間の一人が、ホテルと航空チケットの確保に奔走してくれてバタバタと出発したのでした。

 カナダへの直行便は往復共、あいにく満席だったため、カナダ国境に近いアメリカのシアトル空港で一旦乗り換え、小さな飛行機でバンクーバーへ、という具合でした。

 さて、このシアトル、2年前の私にとっては何の思い入れも、知識も持ち合わせていないただの通過地点の街に過ぎませんでした。往路では、街全体が厚い雨雲にすっぽりと覆われて視界が悪く、1時間半もグルグルと上空を旋回してようやく着陸出来、珍しくお天気にイタズラされたかと、バンクーバー行きの直行便に乗れなかったことを恨めしく思ったものです。

 空港内にあったスターバックスのコーヒーの味は、苦いうえにサイズが巨大(私の注文の仕方がまずかったのかも知れません)で、私の胃袋には合わないか、と思いながら我慢してようやく飲み干しました。

 その旅から帰ってきてほどなく、テレビで「めぐり逢えたら」というアメリカの恋愛映画が放送されていました。以前にも見ていて、エンパイアステートビルのクリスマスのシーンは記憶にあると思いつつ何となく見はじめると、主演のトム・ハンクスの住んでいる街がシアトルだったということに、初めて気づいたのです。

 映画の中のシアトルは、いつも雨がザーザー降っていて、相手役のメグ・ライアンが「あんな雨ばっかり降っているところなんていやよ」(多分そんな感じのセリフだったと思う)と語っていることから、年間を通じて雨雲がかかりやすいところなのだと納得したのでした。

 そして翌年、つまり昨年のこと、イチローがシアトルマリナーズに入団してその試合の模様やシアトルの街並を目にしたり耳にする機会が増え、俄然、親しみを持って眺める対象へと変わってきました。実は2年前には、佐々木投手が既にマリナーズで活躍していたのですが、まったくの認識不足でした。

 イチローの活躍に伴ってシアトルも一緒に紹介され、あのスターバックスコーヒーの発祥の地で一号店があること、しかもそのお店はエスプレッソの美味しさをアメリカに広めたいとの思いで創業された、というエピソードを知るに至り、勝手なものでまったく別の印象がシアトルに対して膨らみ始めてしまいました。

 今は近くにもスタバがあり、いつも賑わっていますが、やはりシアトルでもう一度ゆっくり味わって確かめてみたいと思うのです。そういうことにはひどく単純な私は、コロッと気分を変えて、おそらく美味しく飲んでしまうのだろうと確信しています。

 ところで、バンクーバーで地元の方が勧めてくれた「日光」という寿司屋のことも触れておきます。握ってくれた九州の福岡出身という店長が、「せっかく日本から来たのだから、冷凍ものでどこでも食べられるネタではなく、この地元近海の旬の食材を是非召し上がって」と勧められるままに、生牡蠣、サーモン、ビンチョウマグロ、そして子持ち昆布などを、カリフォルニア米で仕込んだという純米吟醸酒を片手にこころゆくまで堪能したのです。

 そのあまりの美味しさに私たち4人はほんとうにびっくりし、そしていたく感動してしまいました。誰が言い出すでもなく皆意見を一致させ、帰国前夜にもう一度そのお店へ足を運んで、再び食欲のおもむくままに味わうこととなったほどです。

 さて、皮肉なもので、このカナダ旅行の手配を引き受けてくれた友人によれば、2年前とはうって変わって、バンクーバーへの直行便よりもシアトル行きの方が現在はずっと人気が高くなってしまっているそうです。イチロー人気の高さゆえの仕業でしょう。

 そして、私たち仲間4人が顔を合わせる度に、必ず異口同音に出るのが「あの時のお寿司はほんとうに美味しかった。もう一度食べたい」というセリフなのです。あれ以来、あんなに見事にたっぷり厚くて歯ざわりの心地よい子持ち昆布には、残念ながらお目にかかれていません。

No.001〜005・完
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