ある日、先代を囲んだ4名が真顔で討論していました。皆、先代を信奉し、姓名判断を学んでいる方ばかりでした。議論の題材として取り上げられていたのは、その頃、日本中を震撼させていた浅間山荘事件です。連合赤軍が山荘の管理人を人質に篭城、警察側が人質救出のための強行作戦を準備している、まさにその最中のことでした。
既に占い師として円熟の域に達していた先代は、威厳に加え、老獪さと無邪気さを併せ持ったような魅力もまとっていました。鋭敏な感覚は内に隠し、決定的な示唆や発言を人前で見せつけることはめったにしなくなっていました。
この時も、少し高みから目元に笑みを宿して皆の様子を眺めつつ、聞き役に徹していました。おそらく自らが発する言葉の重みや鋭利さを充分に認識していたのでしょう。特に討論の場においては、自由な発想や意見を左右してしまうようなことは極力避け、喧々囂々の意見交換を楽しんでいたのだと思います。
まだ占いにはまったく興味のなかった私も、先代の傍らで、誰もが注視している大事件に対し、一体どんな意見が飛び出すのかと、じっと耳を傾けていました。
ところが、四人の出した答えは、どれも一様に極めて悲観的なものばかりで、希望のかけらもない予測だったのです。居合わせた私は、もやもやとした思いが内に湧き出し、どうにも黙っていることが出来なくなっていました。
「人質は必ず無事救出される。でも、救出に向かう前線の警察側には死者も覚悟しなければならないでしょう。関係者の負傷はおそらく十人以上にのぼる」
占いとは関係なく、現実を直視した自分の素直な感覚のまま、そう発言していました。
その後、救出作戦決行の模様は先代と共にテレビで見つづけました。そして、迎えた結末は誰もが予想を外し、ただひとり私の発した言葉が的中していたのです。
そんなことが幾度か続きました。先代を慕って集っていたのは、皆、私よりずっと年上の方々ばかりでしたが、突然のように出現した私の存在に驚きを隠しませんでした。一方、「占い」というものへの漠然とした印象しか持たなかった私は、さらにその存在から遠ざかるように、より「普通の常識」を好んでいったのです。
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